〇登場人物紹介
黒島よしのぶ
いつも黒色ベースの服装に黒縁眼鏡を基本装備とした渋み溢れる人物。大学の先生らしく、近くのカフェでコーヒー片手に哲学書を読んでいることが多い。
★碧山アカリ
趣味で哲学、文学、心理学といった人文書を読み漁っているお姉さん。黒髪セミロングに切れ目とクールな見た目だが、困っている人を見ると放っておけない性格。
★川崎こうへい
アカリの隣の家に住む中学生。学校や両親との関係などなど年相応の悩みをもっており、アカリが良き相談相手になっている。
藤山リカ
社会人一年目の新卒。やや神経質だったり社会人一年目であったりと、悩みが絶えない。カフェで偶然知り合った黒島先生によく相談ごとをもちかける。
★マークは今回のストーリーで登場する人物
〇哲学者とは何か?(ストーリー編)
とあるカフェにて
川崎「昨日学校で、「無知の知」を習ったんだ!」
碧山「なつかしいわね~、どうだった?」
川崎「「知らないことを知っているから賢い」って凄い発想だよね!僕も「無知の知」を意識して知識人になってみようと思う!」
碧山「そこは「知識人」じゃなくて、「哲学者」って言ってあげなさい(笑)」
川崎「ん?「知識人」と「哲学者」って別なの?」
碧山「俗に言われてる「無知の知」が登場するのは、『ソクラテスの弁明』って本だけど、本書ではしっかりと「知識人」と「哲学者」を区別されているわ」
碧山「「知識人」はこの時代の言葉では、ソフィストと言わていて、本書では知ったかぶりをしている人達のことを指すわ 他方、「哲学者」は、知ったかぶりとは無縁の「不知の自覚」をしている人のこと、つまり、ソクラテスのことね」
川崎「「不知の自覚」って「無知の知」のこと?」
碧山「一応は同じね ただ、光文社出版の翻訳を担当されている納富先生は、「無知の知」は間違いで、「不知の自覚」って言葉が正しい表現だと解説パートで主張しているわ」
川崎「なんで!?」
碧山「「不知」と「無知」を著者のプラトンは、使い分けているからね 「不知」の方は、知らないということを自覚していることで、「無知」の方は、不知の欠如により、知ったかぶりをしている人達の状態のことを指すらしいわ」
川崎「え!? じゃあ、「無知の知」って物凄く間違った表現ってこと!?」
碧山「訳者の納富先生に言わせるなら、そうなるわね だから、実際の翻訳はこんな感じにされているわ」
「私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、なにかをそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で」
プラトン著 納富信留訳『ソクラテスの弁明』、光文社古典新訳文庫、2019、32頁引用、太字強調は筆者
川崎「ほんとだ、「知らないことを知っている」なんてどこにもない…」
碧山「もう少し補足すると、本書では「知っている」という知恵は神様レベルの知恵で、「知らないことを自覚している」ことが人間レベルの知恵だと区分されているわ だから神様ではない私たちが何かを「知っている」という場合には、しったかぶりになってしまうわけ」
川崎「僕たち人間は、何かを「知る」ことは、できないってこと?」
碧山「えぇ、特に「真理」や「正義」といった根幹的な問題については、常に「不知の自覚」を持つので人間は精一杯ね だからこそ、物事を探究し続ける「哲学者」になれるわけだけど」
川崎「なるほど…知ってしまえば、探究することもなくなっちゃうもんね 哲学者が色々と考え続けているのは、「不知の自覚」をしっかりと出来ているからなのか」
碧山「だから、ソクラテスは「不知の自覚」を人々にも促すために、あちこちで色んな人を論破してしまって、恨みを買われ、裁判にかけられる その裁判の様子を描いたのが『ソクラテスの弁明』なわけね」
川崎「薄々と気になってたんだけど、この本って小説なの?」
碧山「言い忘れてたわね 対話篇という形式で書かれた文学ね ソクラテスは本を残さず常に真理を探究する「対話」の人だったらしいわ だから弟子のプラトンがその様子を少しでも正確に伝えるべく、ソクラテスを主人公に対話形式で書かれてあるってわけ」
川崎「なるほど…僕も「不知の自覚」を意識しながら、アカリ姉ちゃんと対話して、真理の探究をし続けるとするよ」
碧山「いかにも、哲学者らしい言葉ね(笑) 私との対話もいいけど、この本を通してソクラテスとも対話をしてあげてちょうだい 決して読解困難な本ってわけじゃないからゆっくり読めば、話は理解できるはずよ」
〈つづく〉
〇プチ解説
「不知の自覚」(「無知の知」)に関するよくある誤解の一つに、これをマウンティングの一種とみなされることがあります。しかし、ソクラテスの活動は、マウンティングとは無縁のものであり、きっかけは「ソクラテスが一番賢い」という神の言葉を知らされたことにあります。自分では賢いなんて全く思っていないソクラテスなので、この神の言葉を解くべく始めた活動に「不知の自覚」は由来しています。自分より賢い人を探して、神様の誤解をとこうとするも、話す人は皆「知ったかぶり」をしている者達で、彼らと比較すると「不知の自覚」という知恵が自分にある点で賢いという、言わば哲学活動(自己探求)の末に生じた産物でした。
参考文献
プラトン著 納富信留訳『ソクラテスの弁明』光文社古典新訳文庫、2019