〇登場人物紹介
★黒島よしのぶ
いつも黒色ベースの服装に黒縁眼鏡を基本装備とした渋み溢れる人物。大学の先生らしく、近くのカフェでコーヒー片手に哲学書を読んでいることが多い。
碧山アカリ
趣味で哲学、文学、心理学といった人文書を読み漁っているお姉さん。黒髪セミロングに切れ目とクールな見た目だが、困っている人を見ると放っておけない性格。
川崎こうへい
アカリの隣の家に住む中学生。学校や両親との関係などなど年相応の悩みをもっており、アカリが良き相談相手になっている。
★藤山リカ
社会人一年目の新卒。やや神経質だったり社会人一年目であったりと、悩みが絶えない。カフェで偶然知り合った黒島先生によく相談ごとをもちかける。
★マークは今回のストーリーで登場する人物
〇寂しさの原因は何なのか? (ストーリー編)
藤山「寂しくて仕方がない? 」
同僚「そうなの… いつもSNSで人と喋ったり、こうやって対面でお話も日頃してるんだけど、どうしても孤独感というか寂しさみたいなのがあって… 」
藤山「えー… 彼氏でも作ってみたらどう? 」
同僚「実は、最近彼氏もできたんだー… 少しでも孤独感を紛らわそうとマッチングアプリで知り合ったんだけど、あまり何も変わらないというか…」
藤山「悪い彼氏ってわけではない? 」
同僚「うん、むしろ優しくていい人なんだけど… ねぇ、寂しさってどうやって治すの? 」
藤山「そ、それは、私にきかれても…」
同僚「えー、だって最近めっちゃ深いこと考えてたり、難しそうな本読んでたりするじゃん」
藤山「それは、私一人の力というよりも、強力な助っ人がいるというか(汗)」
同僚「じゃあ、その強力な助っ人さんに聞いてきてよ!」
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カフェにて
藤山「というわけで先生、人はなぜ寂しさを感じるのか教えてください」
黒島「藤山さん、最近遠慮がなくなってきましたね(笑) まぁ、私もこういう話は好きなので、大歓迎ですが」
藤山「すみません(苦笑) でも、孤独感を解消すべく彼氏ができたのに寂しいままって少し不思議な話にも感じてしまって、私も物凄く気になります」
黒島「そうですねー… 案外、寂しさの原因はその部分が大きいかもしれません」
藤山「え!? 彼氏がいるから寂しいってことですか!? 皆、寂しいから彼氏や彼女を作ろうと頑張ってるのに!?」
黒島「いえ、私が寂しさの原因として目をつけたのは、その後者の方、つまり、「寂しいから彼氏や彼女を作る」の部分ですね マルティン・ブーバーの『我と汝』という本を藤山さんはご存じでしょうか? 」
藤山「いえ、初耳です! 「我と汝」…「私とあなた」?」
黒島「仰るように、日常語に言い直せば、「私とあなた」です もう一つ重要なのが、これと対となる「私とそれ」の関係があり、ブーバーは、〈私〉の世界には、〈我と汝〉の世界と、〈我とそれ〉の関係があると言っています」
藤山「〈我と汝〉の世界と、〈我とそれ〉の世界… もう少し具体的にお伺いしてもいいですか? 」
黒島「前者の〈我と汝〉は分かりやすいですね いつも私達は色んな〈汝〉こと〈あなた〉と呼べる人々と接する世界を生きているわけですから 対して、〈我とそれ〉というのは、言うなれば「道具関係」のことです 道具というのは基本的に何か目的があって、その為の手段として用いられるものなので、「目的手段関係」のことを〈我とそれ〉と言っているわけです」
藤山「なるほど! それなら確かに、「私の世界」は、ブーバーの言うように、対人間と対道具の二つ関係で成り立ってますね!」
黒島「重要なのは、これは「人間との関係」のことを単純に〈我と汝〉と繋げているわけではないということです つまり、対人関係においても、相手を道具として扱うのであれば、〈我と汝〉の関係でなく、〈我とそれ〉の関係です」
藤山「あー、……先生の言いたいことが、少し読めた気がします 私の同僚は、寂しさの解消という「目的手段関係」のもとで彼氏を作っているから、〈我と汝〉の関係でなく、〈我とそれ〉の関係である…みたいな? 」
黒島「ご明察通りです その同僚さんが寂しさが消えない根本的な原因、つまり、〈我とそれ〉の関係しかないことが原因かもしれないと私は少し感じましたね」
藤山「マジですか…」
黒島「〈我と汝〉の関係と〈我とそれ〉の関係は、言ってしまえば、交換可能な関係か交換不可能な関係かと言い直せます 交換可能というのはつまり、目的に沿うのであれば何でも、誰でも構わないということなんですね
藤山「なるほど… では、〈我と汝〉の関係が重要…ということですよね?」
黒島「寂しさという問題をブーバーから考えた場合は、見過ごせない観点だと思います その際、〈我と汝〉の交換不可能な関係とは、相手を「人格」として見れているか否かという点が一つ指標です」
「〈われ〉-〈なんじ〉という根源語は、全人格を傾倒してはじめて語ることができる。〈われ〉-〈それ〉という根源語は、全人格を傾倒して語ることができない。」
マルティン・ブーバー『我と汝』、講談社学術文庫、2023,9頁引用
黒島「人格として傾倒してようやく語ることができる、つまり、「〇〇だから相手が好き」というのでなく、「ただ、あなた自身が好き」と言えるのが「全人格を傾倒して語る」ということであり、交換不可能な〈我と汝〉の関係です」
藤山「なんだか現代人は気づきにくいお話ですね… 私の同僚はどうすればいいのでしょうか?」
黒島「〈我とそれ〉の関係から、〈我と汝〉の関係に変化させるしかありませんね 現にブーバーはこのようなことも言っております」
「〈われ〉と〈なんじ〉の関係が終局に達すると、個々の〈なんじ〉は変じて〈それ〉とならなければならない。 これとは逆に、個々の〈それ〉は、関係のうちにはりこむと、〈なんじ〉に変ることもできる。」
同前、59頁引用
黒島「〈我と汝〉の関係は、〈我とそれ〉の関係に転じてしまいますが、逆に、〈我とそれ〉の関係も〈我と汝〉の関係に転じうる これはブーバーではなく私の持論ですが、〈我とそれ〉の関係であっても、共に過ごす「時間」が何かトリガーとなって〈我と汝〉の関係に移行させるのかもしれません」
藤山「なるほど… なんだか今日は現代社会の根幹にある問題に関わるお話が聞けた気がします… 」
黒島「そうですね、藤山さんの同僚に限らず、この蔓延る孤独感は現代社会に通ずる問題なのでしょう 中には彼氏や彼女でなく、SNSでのやり取りで孤独を紛らわそうとする人も多いでしょうが、いずれにせよ孤独を埋め合わせてくれるなら誰でもいい交換可能な〈我とそれ〉の関係しか築けません これでは、孤独感は紛らわせないでしょうね」
藤山「せめて、〈我と汝〉と〈我とそれ〉というブーバーの言葉の意味が流布すれば、孤独感の原因と向き合えるのかもしれないですね…」
〈つづく〉
〇プチ解説
マルティン・ブーバーは、オーストリア出身の宗教哲学者であり、熱心なユダヤ教徒でもあります。今回紹介した『我と汝』は、上述のように〈我とそれ〉の関係でなく〈我と汝〉の関係を築くことを強く訴えた著書となっています。また、〈我とそれ〉の関係と〈我と汝〉の関係は、二重に重なり合って移行し合いますが、〈神〉との関係だけは「永遠の汝」として存在しているので、最終的には神への信仰を基盤に置くいかにもユダヤ教徒らしい内容になっています(但し、ユダヤ教徒でなくとも、本書で指摘されている主張が全くの無価値でないことは、このブログで示すことができたと思われます)。
参考文献
マルティン・ブーバー『我と汝』、講談社学術文庫、2023
NewsPicks「[宮台真司]他人を見捨てる「日本社会」なぜ助け合わないのか?」(https://youtu.be/t-Fk741mVAs?si=VtKGlLAGdDmeD8rX 2025/3/27閲覧)