〇登場人物紹介

黒島よしのぶ
いつも黒色ベースの服装に黒縁眼鏡を基本装備とした渋み溢れる人物。大学の先生らしく、近くのカフェでコーヒー片手に哲学書を読んでいることが多い。

★碧山アカリ
趣味で哲学、文学、心理学といった人文書を読み漁っているお姉さん。黒髪セミロングに切れ目とクールな見た目だが、困っている人を見ると放っておけない性格。

★川崎こうへい
アカリの隣の家に住む中学生。学校や両親との関係などなど年相応の悩みをもっており、アカリが良き相談相手になっている。

藤山リカ
社会人一年目の新卒。やや神経質だったり社会人一年目であったりと、悩みが絶えない。カフェで偶然知り合った黒島先生によく相談ごとをもちかける。
★マークは今回のストーリーで登場する人物
〇(ストーリー編)
川崎の母「ちょっと、あなた! 脱いだ靴下は脱ぎっぱなしにしないでって何度言ったら分かるの!」
川崎の父「いいだろ~ 今日は、近所のコンビニ歩くのに使っただけだからそんなに汚れてもないし~」
母「そういう問題じゃなくて、部屋に脱ぎ捨てられてるのが汚いんです!」
父「はーい……ちゃんと洗濯カゴにいれてきまーす(怖い、怖い)」
川崎「(でも、たしかに……なんで、脱ぎ捨てられた靴下ってそれだけで汚く感じるんだろ?)」
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川崎「っていう家族のやり取りがあったんだけどアカリ姉ちゃん的には、どう思う?」
碧山「よく聞く家庭のやりとりね」
川崎「じゃなくて、靴下の話!」
碧山「そうねぇ……汚く感じる要因は、「場違いさ」かもしれないわね」
川崎「場違いさ?」
碧山「そう 今回の場合、脱ぎ捨てられた靴下は本来であれば洗濯カゴにあるべきもの だけど、そのあるべきところにないというのが「汚い」という感覚に結び付けられている」
川崎「なるほど……?」
碧山「この場違いさが、汚れの感覚と結びついていると見破ったのが、メアリ・ダグラスという人類学者ね 『汚穢と禁忌』という書籍で主にその話がされているわ」
川崎「たしかに、その定義だったらお父さんが「綺麗な靴下だよ」と言い張っても、お母さんが「汚い」って感じるのは、納得できるかも」
碧山「そうね もう少し抽象度を上げて話をすると、あるべき場所にあるべきモノがあるってことは、整理整頓されているという意味で「秩序」的なものね そう考えると「汚い」は、秩序に反旗を翻すものとして「無秩序」として対置されることになるわ」
汚穢とは、本質的に無秩序である。絶対的汚物というものはあり得ず、汚物とはそれを視る者の中に存在するにすぎない。
メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』ちくま学芸文庫、2009、33頁引用
川崎「つまり、お父さんの靴下は、無秩序的なモノだった?」
碧山「そういう言い方が可能ね その靴下の説明でいくと一足二枚がまとまって脱ぎ捨てられていたのか、無造作にバラバラに脱ぎ捨てられていたのかという点からも「汚さ」の感じ方が変わると思うわ」
川崎「なるほど……本来は、二枚一足というのが靴下の秩序だけど、それがバラバラに脱ぎ捨てられていたりすると無秩序感が増して、汚さが増すってことか」

碧山「そういうことね 「汚い」という概念は衛生面からだけでなく、こういった「場」という側面からも考えることができるわけ」
川崎「今回みたいに「なんで、汚いって感じちゃうんだろ」って疑問に思ったときに、かなりヒントを与えてくれそうな話だね!」
〇プチ解説
「汚れ」が「場」との関係で成り立つ以上、それは、絶対的基準によって規定されるものでなく、かなり相対的なものです。私たちの文化では、「脱いだ靴下は、洗濯カゴにあるべきもの」という秩序が形成されているので、その辺に脱ぎ捨てられていると汚く感じるわけですが、文化、もしくは、家庭次第ではそれが「汚い」となるか否かは、分かりません。今回は、靴下という卑近な例ですが、この「汚い」という概念が人に向けられて差別的に使われてしまうようなとき、彼女の話は落ち着いた視点を与えてくれます。
参考文献
メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』ちくま学芸文庫、2009