物語でサクッとフリードリヒ・ニーチェ 『道徳の系譜学』 #10

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〇登場人物紹介  

黒島よしのぶ  

いつも黒色ベースの服装に黒縁眼鏡を基本装備とした渋み溢れる人物。大学の先生らしく、近くのカフェでコーヒー片手に哲学書を読んでいることが多い。  

★碧山アカリ  

趣味で哲学、文学、心理学といった人文書を読み漁っているお姉さん。黒髪セミロングに切れ目とクールな見た目だが、困っている人を見ると放っておけない性格。   

★川崎こうへい  

アカリの隣の家に住む中学生。学校や両親との関係などなど年相応の悩みをもっており、アカリが良き相談相手になっている。  

藤山リカ  

社会人一年目の新卒。やや神経質だったり社会人一年目であったりと、悩みが絶えない。カフェで偶然知り合った黒島先生によく相談ごとをもちかける。  

マークは今回のストーリーで登場する人物     

〇個人の力と集団の和が対立した時(ストーリー編)

とあるハンバーガーショップにて碧山に相談中の川崎

碧山「体育大会の参加種目決めでモヤモヤした?なにかトラブルでもあったの?」

川崎「えーと… 単に自分が出たい種目に出れそうにないって話なんだけど…」

碧山「出たい種目が被ってジャンケンで負けた?」

川崎「ジャンケンで負けたんだったらまだ納得いくよー…」

碧山「その口ぶりから察すると、決め方に不満があるのね」

川崎「まさにその通りで… 僕が出たかった種目は50メートル走なんだ」

碧山「あんた短距離走は得意だってよく自慢してるもんね」

川崎「そうそう だから、50メートル走を走りたかったんだけど、距離が短かったり、複雑な動きがないから運動が苦手な子もこの種目に出たがるんだ」

碧山「確かに、個人競技にどうしても出ないとダメなら、運動が苦手な私も50メートル走を狙うわね」

川崎「だから、ジャンケンなりくじ引きで決めるのかと思いきや、クラスの方針で…」

碧山「運動が苦手な子を優先的にしてあげるようにした?」

川崎「そうなんだよ! 確かに、その方が集団の和としていいのは分かってるんだけど…やっぱり、モヤモヤしちゃって…これって僕が悪いのかな?」

碧山「「個人の力」と「集団の道徳」の対立があるわね 別に悪いことじゃなくて、むしろ自然な感情よ、ニーチェの『道徳の系譜学』的には」

川崎「そうなの?これって自然な感情なの?むしろ集団道徳の方が自然なんじゃ…」

碧山「ニーチェに言わせれば、私達人間は最初「道徳」なんてものは持ち合わせてなくて、あったのは「強い/弱い」という「力」の関係だけよ」

川崎「人間は、「道徳」なんてもってなくて、あったのは「力関係」だけ… じゃあ、「道徳」は後から作られた?自然なものではない?」

碧山「えぇ、「強い/弱い」の力関係だけだと困るのは、「弱い」に該当してしまう人たちね だから、「善悪の価値」、つまり、「道徳」を持ってきて対処するわけ」

川崎「ん?「善悪の価値」を持ってくることが、どうして「弱い」とされる人たちの対処法になるの?」

碧山「つまり、「強い=悪」「弱い=善」だという価値観を導入したわけよ、これを「価値転倒」なんて言ったりするわ」

川崎「そうか!強者を悪者だと言って、弱者は善人だという価値観をもってくることで、上手く生存戦略的なものを図ったのか!…え、なんかズルくない?」

碧山「そうね、少しずる賢さみたいなものはあると思うわ だけど、意外とこういった感覚は根付いていて、例えば、お金持ちという「強者」は、「悪い」ことをしてお金を貯めてるんだ、みたいな偏見は偶に聞くでしょ?」

川崎「あー、たしかに…」

碧山「いわゆる「ルサンチマン」って言葉と密接に関係していて、「弱者が強者に抱く妬み」という意味があるわ このルサンチマンによって、強者は悪者だと判断して、弱者は善人だという構図が生じるわけね」

川崎「「ルサンチマン」か~ そう説明されると心当たりがいくつか… じゃあ、道徳ってニーチェ的には個人の力を縛ってしまうものなんだ」

碧山「そういうことになるわね だから、50メートル走で自分の力を発揮したいという感情とクラス内の道徳と対立が発生しても、その構図自体は何も悪い事じゃない、自然なことなのよ」

川崎「なるほど! 道徳は、万能で絶対的なものじゃないってことだね!」

碧山「えぇ、個人的には全ての道徳が不必要だとは思わないけど、道徳が絶対的なものでもない以上、時には懐疑的になる必要はあると思うわ だから『道徳の系譜学』で序盤に書かれてある問題提起はこんな感じよ」

道徳の価値の価値そのものに、ひとたびは疑問のまなざしを投げかかることが求められているのである。

ニーチェ著 中山元訳『道徳の系譜学』、光文社古典新訳文庫、2015、21頁引用

 

人間という類型のうちでも、そのものとしてありうるような最高度に力強く、豪奢な類型が決して登場しないのは、道徳の〈せい〉だとしたらどうだろう?すなわち道徳こそが、危険のうちの最大の危険だとしたら?……

前掲書、22頁引用

川崎「かなり、容赦がないね(笑)」

碧山「容赦がないわね それだけ、皆が「道徳」というものを賛美「し過ぎ」てしまっているから強烈に感じてしまうだけかもしれないけど」

川崎「なるほど!!!」

碧山「まぁ、だから一度「相談」って形でクラスの皆や50メートル走を走ることに決まった子たちに種目を変わってくれないか聞いてみたら?案外一人ぐらいるかもよ?」

川崎「そうだね!とりあえず、何人かの子に聞いてみる!それでダメなら諦めて、今決まってる種目で頑張るとするよ!」

〈つづく〉

〇プチ解説

上記でも説明したように、「道徳(善悪)」というのはニーチェに言わせると「力」よりも後から作られたものです。では、その道徳がどのように生まれて、発展し、今日に至るまで変遷してきたのかを調べる、というのが『道徳の系譜学』です。ご察しのように本書は「道徳批判」が主な内容で、自分の内なる「力」を自覚せよという主張が読み取れます。「力」によって物事を認識するこの考えを「パースペクティブ主義」と言います。また、ニーチェの著作は基本アフォリズムという詩的な文章表現で書かれていたり、主著の『ツァラトゥストラ』は物語で書かれてあったりと、文芸的形式著作が多いのですが、『道徳の系譜学』は論文調でニーチェの著作の中では特殊です。

参考文献

ニーチェ著 中山元訳『道徳の系譜学』、光文社古典新訳文庫、2015

永井均著『これがニーチェだ』、講談社学術文庫、1998

清水真木著『ニーチェ入門』、ちくま学芸文庫、2018

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