マルクス・アウレリウスの「自省録」には、対人関係において役立つ、多くの示唆に富んだ言葉が綴られています。今回はその中から、特に注目すべき箇所を取り上げて解説していきます。
ではいきましょう!
君を悩ませているのは、君の判断だ
まず、アウレリウスは次の一節をご覧ください。
「君は今、世間からの評価や、人間関係といった外的な理由によって苦しんでいる。しかし、君を本当に悩ませているのは、そのこと自体ではなく、それに対する君の判断や思い込みではないだろうか。苦痛が、ただ単に自分の心の持ちようであるならば、それを正しく解決に導けるのもまた、自分自身なのだ。」
「君は今、じっと何かを耐え忍んでいて、それが苦しくて仕方がないのだろう。だったら、なぜ行動しない、なぜ、自分からその苦痛を取り除いてやらない。大きな障害があって本当にどうすることもできないのか。それならば、君はこれ以上、自分を責めるべきではないし、苦しむ必要はないだろう。なぜなら、それはもう君のせいではないからだ。」(8-47)
この言葉からわかるのは、外的な出来事が私たちを悩ませるのではなく、それに対する私たちの判断や思い込みが本当の原因であるということです。
たとえば、職場で上司から厳しい評価を受けたとしましょう。その瞬間、「自分は無能だ」と思ってしまうと、心が重くなり、ストレスを感じます。しかし、その評価が実際の能力を反映しているかどうかは別の問題です。評価を受けたことで成長の機会と捉えるか、自分を責めるかは、自分の判断にかかっているのです。
自分と相手の課題を切り分けよ
続いて、アウレリウスはこう述べます。
「自分にとって正しいことをした結果、誰かに軽蔑されたり、嫌われたりすることはよくある。しかし、それは君が頭を抱える問題というよりも、相手が解決しなければならない問題だろう。君はただ、軽蔑に値するような振る舞いをせず、誰に対しても、善意をもって親切に接すればいいだけだ。」
この一節には、アドラー心理学でいうところの「課題の分離」に近い考え方が示されています。他人がどう評価するか、どう反応するか。それは相手の課題です。自分がコントロールできるのは、あくまで自分の行動や態度だけなのです。
誰かから心ない言葉や批判にさらされても、過度に狼狽える必要はありません。「これは自分の課題なのだろうか、それとも相手の課題なのだろうか」と冷静に事象を切り分けて思考することが大切です。こうした考えはアウレリウスが若き日に、ストア派の哲学者エピクテトスから学んだものなのでしょう。
ストア哲学では、外部の刺激によって湧き上がる感情や欲望を自分の理性でコントロールし、心の平静を保つことが理想とされます。この理想の状態を「アパテイア」と呼びます。
例えば、SNSでの炎上に遭遇したとき、「自分が悪い」と判断せず、冷静に事実を見極めることが重要です。同じ言葉でも、誰から言われるかで受け止め方が違うように、感情の前に判断があることを意識することで、心の平静を保つことができます。
善行はギブアンドテイクではない
「他人に対して良いことをすると、その恩をどこかで返してもらおうと期待する人がいる。また、表面的には見返りを求めなくても、心の奥底では、相手のことを負債者のようにみなし、あとで請求できると考える人もいる。しかし、その一方で、自分が他人に良いことをしても、それを当たり前のように意識していない人もいる。その姿は、まさにブドウの木のようだ。ブドウの木は、ひとたび自分の実を結んでしまえば、それ以上、何ら求めることはない。」
「疾走を終えた馬のように、獲物を追跡し終えた猟犬のように、蜜を作り終えた蜜蜂のように、それ以上を望んだりはしないのだ。誰かに善行を施したのなら、それ以上求めることはなく、ただ、次の行動に移れば良いのである。」
善行とは、見返りを求めない行動であり、自然と行われるものである。これは仏教にも通ずる考えです。
仏教では、善行を行う際に見返りを求めないことが強調されますが、これは無私(むし)の精神に基づいています。無私の精神とは、自分自身の利益や欲望を捨て、他者のために行動することです。仏教では、この無私の行為が真実の功徳を生み出すとされています。
あり得ないことを求めてはいけない
「他人からの悪意に満ちた言動によって傷つき、怒りたくなることもあるだろう。そんな時は、次の質問を自分に投げてみるといい。恥知らずな人間が、この世界に存在しないなんて、あり得るのだろうかと。いや、そんなことは、どう考えても、あり得ない。ならば、なぜ君はあり得ないことを、求めているのだ。君が腹を立てている、その人物は恥を恥と思わない、大勢の中の一人でしかないのだ。この世界には、必ずそういう人がいるし、いないことなんて、そもそもあり得ない。このことを忘れなければ、君はもっと寛容になれるはずだ。」
例えば、SNSでの悪意あるコメントや、職場での無礼な同僚に対して、「なぜそんな人がいるのだろう」と頭を悩ませる必要はありません。
そういう人が社会に一定数いるのは当たり前のこと。大切なのは、自分で動かしようのない現実は受け入れ、自分の道を前進することです。
まとめ
ストア哲学の基本に立ち返り、理性を働かせることで怒りを鎮め、どんな時でも寛容であろうと努めることが、アウレリウスの教えの核心です。彼は自らの内省を通じて、アパテイア(不動心)を目指していました。
アウレリウスの言葉を通じて、私たちも自分自身と向き合い、日々の対人ストレスを乗り越えていきましょう。