〇登場人物紹介
黒島よしのぶ
いつも黒色ベースの服装に黒縁眼鏡を基本装備とした渋み溢れる人物。大学の先生らしく、近くのカフェでコーヒー片手に哲学書を読んでいることが多い。
★碧山アカリ
趣味で哲学、文学、心理学といった人文書を読み漁っているお姉さん。黒髪セミロングに切れ目とクールな見た目だが、困っている人を見ると放っておけない性格。
★川崎こうへい
アカリの隣の家に住む中学生。学校や両親との関係などなど年相応の悩みをもっており、アカリが良き相談相手になっている。
藤山リカ
社会人一年目の新卒。やや神経質だったり社会人一年目であったりと、悩みが絶えない。カフェで偶然知り合った黒島先生によく相談ごとをもちかける。
★マークは今回のストーリーで登場する人物
〇「私」のアイデンティティとは?(ストーリー編)
川崎「アカリ姉ちゃんから見て、僕のアイデンティって何だと思う?」
碧山「??? あまり考えたことないわね」
川崎「最近学校で、「ちゃんと自分のアイデンティティを見つけなさい」的なことを先生から言われるんだよー だから気になちゃって」
碧山「アイデンティティを「見つける」か さも初めから存在しているものであるかのような言い方ね」
川崎「え!? そういうものなんじゃないの?」
碧山「かなり怪しいと思うわ 「アイデンティティ」、つまり「私が私であるということ」、「自己同一性」「主体」「自我」など色んな訳し方がある用語だけど、いずれにせよ生まれながらにして備わっているものとは限らないわ」
川崎「その考えもやっぱりどこかの哲学者の思想なの?」
碧山「えぇ、もちろん 代表的なのはデイヴィッド・ヒュームね 彼の『人性論』では、「知覚の束」というキーワードをもとにそのようなことが書かれてあるわ」
川崎「「知覚の束」???」
碧山「シンプルな問いからはじめてみましょう 「私は、私である」というこの認識は、どのようにして成り立っているのか?」
川崎「え!? 聞かれてみると難しいんだけど… (机をコンコンと軽く叩きながら)「私はここにいまーす」的な?(苦笑)」
碧山「なかなかいいリアクションをしたわね笑 今机を叩いた時に、叩いた感触があったでしょ?」
川崎「え、うん」
碧山「他にも「私」という存在は、いろんなものを感じているはずよ 部屋の明るさや、気分、温度から椅子の座り心地などなど それら全ての「知覚」が固まって、「私」という観念(イメージ)ができてるってこと」
川崎「それが、「知覚の束」ってこと?」
碧山「その通り ヒュームは「私」というのは、様々な知覚の束に過ぎないと考えたの 以下の一節よ」
「どんなどきでも、知覚なしに私自身をとらえることはけっしてできず、また、知覚以外のなかに気づくことはけっしてあり得ない。(略)人間とは、思いもつかぬ速さでつぎつぎと継起し、たえず変化し、動き続けるさまざまな知覚の束あるいは集合にほかならぬ、ということである。」
ヒューム著 土岐邦夫他訳『人性論』(『世界の名著27』収録)、中央公論者、1968、471頁引用
碧山「「私」というものが、「知覚の束」である以上、それは引用に書かれてあるように、知覚するものによって次々に継起しては変化していくものだということになるわ だから、「アイデンティティ」こと「自己同一性」が初めから不変&普遍のようなものとしてあるという考え方を排していることになるわ」
川崎「時間の流れのなかで変わっていくものだと…」
碧山「その通り 「私」というものは「知覚の束」に過ぎないので、微小な変化を常に受けているものなんだけど、その変化が小さすぎてなかなか知覚できない、故に、「私」や「アイデンティティ」のようなものが不変かつ普遍なものとしてあるように「錯覚」してしまうわけね」
川崎「じゃあヒュームに言わせたら、「昨日の僕」と「今の僕」も別物ってことになるんだよね?」
碧山「厳密に言うなら別物ね ただ、「昨日の私」も「今の私」もそこまで大きな変化が起きていない、つまり、類似性や相似性がある あくまでも、「同一性」でなく、「類似性」としての「私(自我や自己同一性)」なら存在しているとも言えるわ」
川崎「なるほど…「同じ」でなく、「似ている」ってことか」
碧山「参考のために、前に少し紹介したドゥルーズのヒューム読解の引用も見ておきましょう」
「以前に自分が喜んだり苦しんだり、感動したり、数々の感情や情念によって動揺させられたりした仕方を、私は思い起こす。自分が現に感じていることとかつて感じたこととのあいだに、私はある種の相似があるのを思い起こす。-そうした類似を自分自身に対して説明するために、私の想像力は、ある連続的実在を凝固させ、それを創造し、それを前提とする。このような実在のことを、私は自我と呼んでそれを実体化させるのである。」
ドゥルーズ他著 合田正人他訳『ヒューム』、ちくま学芸文庫、2000、45頁引用
川崎「いまアカリ姉ちゃんの話してくれたことのまとめみたいな一節だね!」
碧山「えぇ だから、「アイデンティティ」はどこかに初めからあって隠されているものというよりかは、常に変容し何度も何度も創り直されるものと認識した方がいいわね」
川崎「ある意味、「アイデンティティ」の無さに苦しむ必要のない思想って言えそうだね! いつでも創れるんだから!」
碧山「まさにその通りね そして同時に、自分がこれまで「アイデンティティ」だったと思っていたものがなくなっても気が楽になる面もあるわ それは「変化」するものなんだから、いつかは壊れて当然のものなわけだから」
〈つづく〉
〇プチ解説
ヒュームと言えば、「因果関係」を否定した哲学者であり、そこから転じて科学を批判したというイメージを持たれているようですが、これは不正確です。ヒュームの行いたかったこととは、「人間知性」それ自体の分析であり、そのうえで「因果関係」をあくまでも蓋然的な知性であると主張したに過ぎません。「手を火に近づければ火傷する」という因果関係による知識は、厳密な絶対的真理でなく、次も同じことが起こるという完全な立証はできない、「因果関係」という人間知性の構造はそのようなものであると分析しただけであり、科学を非難したというレッテルは誤解です。
参考文献
ヒューム著 土岐邦夫他訳『人性論』(『世界の名著27』収録)、中央公論者、1968
ドゥルーズ他著 合田正人他訳『ヒューム』、ちくま学芸文庫、2000
泉谷周三郎著『人と思想 ヒューム』、清水書院、1994