〇登場人物紹介
★黒島よしのぶ
いつも黒色ベースの服装に黒縁眼鏡を基本装備とした渋み溢れる人物。大学の先生らしく、近くのカフェでコーヒー片手に哲学書を読んでいることが多い。碧山アカリ
趣味で哲学、文学、心理学といった人文書を読み漁っているお姉さん。黒髪セミロングに切れ目とクールな見た目だが、困っている人を見ると放っておけない性格。★川崎こうへい
アカリの隣の家に住む中学生。学校や両親との関係などなど年相応の悩みをもっており、アカリが良き相談相手になっている。藤山リカ
社会人一年目の新卒。やや神経質だったり社会人一年目であったりと、悩みが絶えない。カフェで偶然知り合った黒島先生によく相談ごとをもちかける。★マークは今回のストーリーで登場する人物
〇完璧な文章を書こうとしてはいけない文章術(ストーリー編)
長期休暇につき読書感想文の宿題を出されている川崎は、近所のカフェチェーン店で宿題を終わらせようとおもむく
川崎「(中学生の財布にも優しい値段だし、あまりうるさい人もいないから、カッコつけて宿題するにはピッタリだ!)」
そんなことを考えながら、カウンターに腰をおろし、アカリの勧めで何とか一編だけを読み切ったショーペンハウアー『読書について』を出す
川崎「(ふふふ、哲学書で読書感想文書くなんてきっと僕ぐらいで、先生にもデキる奴だと思われるチャンスだぞ!)」
10分経過 川崎「(ん~、こうじゃないな~)」
20分経過 川崎「(いや、ちょっと言いたいことと違うこと書いてる気がする…)」
1時間経過
川崎「絶望だ…ナニモカケナイ…」(放心状態)
するとそこへ、一人の男があらわれる。
ある男「だ、大丈夫ですか?」
川崎「え? あ、大丈夫です!読書感想文がうまく書けなくてつい(汗)」
ある男「なるほど、読書感想文でしたか にしても、感想文にする本がなかなか素晴らしいですね」
川崎「ほんとですか?(笑) っていうか『読書について』知ってるんですか!?」
ある男「はい一応〇△大学というところで哲学の先生をやっている身分ですので(笑) それで気になって思わず声をかけてしまいまして、いきなり失礼いたしました」
川崎「いえいえ! ん、先生なんですか!?じゃあ読書感想文のコツとか教えていただけたりできますか!?哲学的なアドバイスでも大丈夫です!」
ある男「そうですねー(苦笑) 何度も書いては消しゴムで消されていたご様子でしたので、言葉選びに戸惑っておられる印象でしたが当たっていますか?」
川崎「そうなんです!読んで感じたことはあるんですけど、それを言葉にしちゃうと何か抜け落ちている感じがしちゃって…」
ある男「なるほど その何か抜け落ちている感じがするというのはポイントかもしれません ジャック・ラカンという哲学者が「三界の理論」というものを提唱しているのですが、ラカンの考えとこの問題は相性がいい気がします」
川崎「ラカン…三界の理論… 初めて聞きました…」
ある男「世間的には知っている人の方が少ないでしょうから(笑) まず、三界というのは、「想像界」「象徴界」「現実界」というもので、これはそれぞれ、「イメージ」「言語」「不可知」の領域のことを指しています この三界こと三つの領域がウマい具合にあわさって、私達の心というものはできている、とする考えです」
川崎「な、なるほど… 「イメージ」と「言語」っていうのは、何となくわかりますが、「不可知」の「現実界」っていうのはなんでしょうか?」
ある男「文字通り知ることができない領域のことですね 話が前後しますが、何かを「知る」ことができるのは「言葉」の領域である「象徴界」です となると、知ることができない領域である「現実界」というのは、「言語化不可能なもの・領域」のことですね」
川崎「なるほど、何でもかんでも「言葉」にすることはできないのか…」
ある男「その通りです! 現実界というものが私達にある以上、何かを「言葉」にするという行いは、どこかしら言葉にできないものがこぼれ落ちてしまう、それが当然であるというわけですね」
真理をすべて語ることはできないことだからです。(略)言葉が不足しているのです。真理が現実界に由来するもの、まさにこの不可能によっています。ラカン著 藤田博史・片山文保訳『テレヴィジオン』、講談社学術文庫、2016、12頁引用
ある男「『テレヴィジオン』というラカンの著作でもこのように言われており、やはり何もかも完全に言語化するというのは出来ないことなんですね」
川崎「じゃあ僕はさっきから、どうしても「言葉」にできない何かを必死にすくいあげようと努力していたというわけですか!?」
ある男「そういうことにはなってしまいますね(苦笑) ただ、言葉に限界があるからと言って、ヤケになるのも違います 限界があるからこそ逆にうまく言葉にしようとする、その努力事態は大切なことだと思います」
川崎「なるほど、すべては言語化できないことを前提に努力して書けばいいのか…」
ある男「そういうことになりますね 失礼、申し遅れました、先ほど言ったように、〇△大学で哲学を教えている黒島と申します 初対面なのにいきなり難しい話をしてしまい申し訳ない」
川崎「あっ、川崎こうへいって言います!全然気にしないでください!むしろ、困ってたので助かりました!完全に自分の感じたことを書こうとするんじゃなくて、うまくバランスを意識して書いてみようと思います!」
黒島「それはよかったです 先程言ったように、「言葉」がないと「知る」ということができないという点はポイントで、言語化できないものがあると言えども「知」を疎かにするわけにはいきませんので、読書感想文も一つの勉強だと思って書いてみるといいかもですね(笑)」
そう言って残っていたコーヒーを飲み干す黒島
黒島「ではこの後大学の会議がございますので、ここらへんで私は失礼します 納得のいく読書感想文が書けるといいですね!」
川崎「ありがとうございます!本当に助かりました!」
そう言って別れる黒島と川崎
川崎「(そういや、〇△大学ってアカリ姉ちゃんの卒業した大学じゃん…知り合いだったりするんだろうか?)」
〈つづく〉
〇プチ解説
20世紀フランスの思想家・精神分析家であるジャック・ラカンは、彼以降の哲学を学ぶうえで、もはや知っていることが前提としておかれる重要な人物です。大きくラカンの思想は前期と後期に別れ、その思想内容はかなり変遷していますが、まずはここで紹介した「三界の理論」を知ることからおすすめします。前期ラカンは象徴界を重視したのに対して、後期ラカンは現実界を重視し、最終的にこの三界を繋ぎとめるものが、大切なのだという結論に辿り着きます。三界を繋ぎとめるものを「サントーム」と言い、この「サントーム」と上手くやっていけるようになることを精神分析の終着点と考えました。
参考文献
ラカン著 藤田博史・片山文保訳『テレヴィジオン』、講談社学術文庫、2016
松本卓也著『人はみな妄想する』、青土社、2021
向井雅明著『ラカン入門』、ちくま学芸文庫、2016
片岡一竹著『疾風怒濤精神分析入門』、誠信書房、2022