このブログでは、古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの生涯、彼の代表的著作『自省録』が誕生するまでのストーリーをざっくり紹介しています。
『自省録』を読む際の背景知識として、是非ご参考ください。
マルクス・アウレリウスとは?
マルクス・アウレリウスは西暦121年、ローマの名門貴族の家庭に生まれました。生まれつき病弱だった彼は学校には通わず、家庭教師をつけてもらいながらギリシャ語、ラテン語、音楽、数学といった学問に触れました。その中で、特に彼の心を捉えたのが哲学でした。
当時のローマ社会では、ストア派哲学が主流でした。
ストア派は古代ギリシャの哲学者ゼノンが創設した学派で、実践的な禁欲主義を特徴とし、英語の「stoic(ストイック)」という言葉の語源でもあります。アウレリウスは当時の一流学者から直接指導を受け、ストア哲学の道を本格的に志すようになりました。
アウレリウスは哲学に夢中になりすぎ、ギリシャ風の粗末なマントをまとい、地べたで寝るというストイックな生活を送ることもありました。母親が再三注意したことでその習慣は改まりましたが、哲学者になりたいという情熱は決して冷めることはありませんでした。
皇帝候補者への道
14歳で成人を迎えると、アウレリウスは政略結婚や離婚、再婚に巻き込まれ、18歳にしてローマ皇帝の候補者に挙げられました。彼は夢が絶たれたと絶望しましたが、哲学者として生きることへの熱意は変わりませんでした。
39歳で第16代ローマ皇帝に即位したアウレリウス。当時のローマ帝国は五賢帝時代と呼ばれる平和と繁栄の時代でしたが、その末期には異民族の侵入や疫病、自然災害などで国家は揺れ動いていました。そんな中、最後の五賢帝として帝国を導いたのがアウレリウスでした。
元々読書と瞑想を愛する内向的な平和主義者だった彼ですが、即位後は皇帝としての激務をこなしつつ、外敵から国家を守るために自ら軍を率いて戦争に明け暮れる日々を過ごしました。私生活では、我が子や最愛の妻を次々と失うという悲劇にも見舞われました。
それでもアウレリウスの精神が腐らなかったのは、幼少期から学んでいたストア哲学の実践があったからだと言われます。彼は毎晩、瞑想をしてその日の自分を振り返り、思ったことをノートに書き留めるというシンプルな習慣を続けていました。
自省録の誕生
アウレリウスが戦線の陣中で書き綴った、自分との対話の記録が「自省録」です。この書物は断片的なメモ書きの羅列であり、完成された作品としての美しさはないかもしれません。しかし、その言葉にはアウレリウスの息遣いや肉声のような響きが残っており、私たちはそれに直に触れることで深い感動を味わい、英気を養うことができます。